世間は、成功した有名人を「努力の天才」と呼び、子供たちに「ああなりなさい」と説教します。
でも、私はその風潮に疑問を感じています。なぜなら、成功者たちが歩んできた道は、私たちが生きるために歯を食いしばっている「努力」とは全く別物だからです。
成功者は「好き」の過集中の中にいる
藤井風さんの演奏にこんなコメントが付いてました。「血の滲むような努力をしたんだろうな」これを見て私は笑ってしまいます。
彼は音楽を愛し、ピアノに没頭できる環境(専門の私立高校など)にいました。大谷選手も野球が大好きで、親から強靭な体をもらっています。
彼らは「努力」をしているのではなく、「異常なまでの熱量で、好きなことに過集中している」だけ。
嫌いなことを無理やりやっているわけではないのです。本当に血が滲むような苦行をしていたら、とっくにピアノも野球も嫌いになっているはずです。
成功を支える「遺伝」と「環境」というアドバンテージ
世界で最も売れたラッパーのエミネム(Eminem)がいい例です。
彼の生い立ちは酷いものですが、青年期はヒップホップを学ぶ場としては最高の場所で育っています。エミネムは高校を3回留年して中退していますが、その間ずっと何をしていたかというと、「デトロイトのヒップホップ・ショップ(伝説的なクラブなど)」で夜な夜なラップバトルを繰り返していたそうです。
さらに、並外れた容姿の良さ。これらも本人の努力ではどうにもならない、生まれ持った武器です。
フィクションになりますが、漫画『3月のライオン』の主人公「桐山零」もそうです。
彼は「生きるために将棋を指す」という過酷な状況に涙する人もいるかと思いますが、そもそも実父は医者で、育ての親はプロ棋士です。「思考の深さを継承した血筋」と「プロの技術が24時間手に入る環境」。
この圧倒的なアドバンテージがあるからこそ、あのステージに立てた。それらを無視して「ただ努力したからだ」と美化するのは、あまりにフェアではありません。
本当に「血の滲む努力」をしているのは誰か?
一方で、介護や福祉の現場、あるいは日々ストレスに耐えて満員電車に揺られるサラリーマンに、「努力の天才」と称えられる有名人はあまり見たことがありません。
なぜなら、あんなに安くて過酷な仕事を、大好きで熱狂してやっている人は稀だからです。
「大嫌いだけど、生きるためにやる」
「絶望しているけれど、今日を凌ぐ」
これこそが、本当の意味での「血の滲むような努力」ではないでしょうか。
好きなことに没頭して富と名声を得ている人よりも、やりたくないこと、苦しいことに耐えて社会を支えている名もなき人々の方が、よっぽど精神を削り、凄まじい努力をしていると私は思います。
自分の努力を安売りしないで
成功者のストーリーを見て「私は努力が足りないからダメなんだ」と自分を責めるのは、もうやめませんか?
それは「成功できなかった自分」への言い訳ではなく「そもそもスタートラインも、走っているコースの快適さも違いすぎる」という、ただの現実です。
もちろん、彼らが素晴らしい才能を持ち、私には想像もできないプレッシャーの中で結果を出していることは心から尊敬しています。でも、それと同時に、彼らを持ち上げる言葉が、今この瞬間、必死に生きている『普通の人』を無意識に傷つけていることも忘れてはいけないと思うんです。
今日、大嫌いな日常をなんとか生き抜いたあなたは、どんな有名よりも立派であったと思います。


コメント