何者にもなれなかった「傍観者」の私へ ――キースとカルラが教えてくれたこと

心の整理と作品

私は、ずっと「特別な人間」になれると思っていました。その根拠のない希望があったからこそ、今日まで生き長らえてこれたのだと思います。

私の育った家庭は悲惨でした。父は母と祖母を殴り、姉は私に暴力を振るいました。才色兼備な姉は、「お前はブス。頭も悪い」と私を罵り続けました。血で滲んだ白目を鏡で見ながら、私は心に誓いました。

「いつか絶対に見返してやる。姉よりも優秀な人間になって、この地獄から脱出するんだ」と。それだけを支えに、猛烈に勉学に励みました。

けれど、現実は無慈悲でした。

大学受験の失敗。なんとか滑り込んだ就職先での精神的な破綻。

少年漫画が大好きだった私は、努力だけを信じていました。人より3倍努力すれば報われるんだ、と。でも、努力ではどうにもならない壁にぶつかった時、私は自分の存在意義を見失いました。

スナックで「酔えなかった」あの日

いつしか私は、世の中に対して冷静な「傍観者」になっていました。何者にもなれなかった自分、生きている意味を見出せない自分にうんざりし、心は常にヤケクソでした。

周りを見渡せば、馬鹿みたいに結婚や出産をゴールだと信じる女たちや、喫煙室で女の品定めをして悦に浸る男たち。どいつもこいつも、心底うんざりでした。

「何をそんなに必死に生きているんだ? 何がそんなに楽しい? 生きてる意味なんてないくせに」

ある時、生活のためにスナックで働いていました。客の退屈な自慢話や、中身のない笑い声に吐き気がしながら作り笑いを浮かべていた時、一人の客が言いました。

「君は物事を斜めから見る人だよね」

とっさに「プロ失格だ」と自分を恥じました。でも今ならわかります。私は何かに酔いしれて現実を忘れるには、あまりにも世界の虚無と痛みを識りすぎていたのです。

キース・シャーディスの絶望と、カルラの「呪い」

『進撃の巨人』に、キース・シャーディスという男が登場します。

彼は自分を「選ばれし特別な人間」だと信じ、調査兵団の団長にまで上り詰めましたが、結局は何の成果も出せないまま、天才たちの影に隠れて表舞台を去りました。

かつて彼は、愛した女性・カルラに自分の野心をぶつけたことがあります。その時、彼女が赤ん坊のエレンを抱きながら返した言葉が、私の心に深く、深く突き刺さります。

「特別じゃなきゃいけないんですか? 人に認められなくっちゃいけないんですか?」「だって見てくださいよ、こんなに可愛い。だからこの子はもう、偉いんです。この世界に生まれてきてくれたんだから」

キースにとって、この言葉は「凡人である自分」を突きつける残酷な宣告でした。でも、今の私には、これが唯一の救いに聞こえるのです。

生まれてきた、ただそれだけの「勝利」

私の人生は、世間から見れば「失敗」の連続かもしれません。姉のような「正解」の生活も、肩書きも、健全な精神も手に入れられなかった。

でも、あの地獄のような家庭で、鼻を折られ、眼球から血を流しながらも、私は今日まで生き延びてきました。

スナックで可愛く笑えなくても、仕事に熱中できなくても、冷めた目で世界を蔑むことしかできなくても。

カルラの言葉を借りるなら、私は「何者か」にならなくても、ただここに存在しているだけで、もう十分に「特別」で「偉い」のです。

傍観者のまま、生きていく

キースは最期、物語の主役(英雄)としてではなく、若者たちの盾となる一人の「傍観者」として、静かにその命を燃やしました。彼は世間的な「何者か」にはなれずに死にましたが、その顔はどこか晴れやかでした。

私も、無理に誰かの期待に応える「奴隷」にならなくていい。

素直に笑えなくてもいい。

ただ、今日も冷めた目で世界を眺めながら、この命をやり過ごしていく。

地獄を生き抜き、今ここに立っている。

その事実だけで、私の人生の帳尻は、もう合っているのだから。

kotokoです。双極性障害歴5年目。
適切な治療で平穏を取り戻しつつあります。
「生まれてこなければよかった」という本音を抱えながら、それでも今日をやり過ごしつつ、治療のリアルを綴ります。
好きなものは映画と漫画(とネコ)。
どこかで同じ空を見上げている仲間の力になれば幸いです。
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