投げられた石を、自分のせいだと思い込んでいた私へ

心の整理と作品

これまで私は、人から傷つけられるたびに「私が悪いのだから仕方ない」と笑ってやり過ごしてきました。でも、今の私を大切にしてくれる人たちと出会い、穏やかな時間を過ごす中で、ようやくあの頃の違和感の正体に気づきました。それは、私の至らなさのせいではなく、ただ私の感覚が「悪意」に麻痺していただけだったのです。

いじめられることが「日常」だったあの日

幼い頃から、家庭でも学校でも、バカにされたり否定されたりすることが当たり前でした。否定されることがデフォルトになっていた私にとって、他人からの攻撃は、防ぐべき「異物」ではなく、自分にふさわしい対価のようにさえ思えていました。いじめられるのが当たり前すぎて、私の心は、傷つく前に「麻痺させること」を覚えてしまったのです。

搾取される善意――「仕方ない」という呪縛

中学のバスケ部で、勇気を出して辞めたいと伝えた時に言われた「辞められても居られても困る」という言葉。(私が辞めれば廃部だったので、そういう言葉になったんだろうと思いますが…)あるいは会社の同期からわざわざ報告された「A君(同期の彼氏)が、ことちゃんは下品で嫌いだって言ってたよ」という言葉。(今思えばマジで意味不明。そんな報告要らんわ)

その時の私は、怒るどころかニコニコと笑っていました。「私はみんなに迷惑をかけているから」「私は言葉が汚いから、嫌われても仕方ない」。そう自分に言い聞かせ、投げられた石を自ら拾い集めていたのです。

麻痺を解いたのは「大切にされる」という経験

そんな私の感覚を変えてくれたのは、大人になって出会った、私を大切に扱ってくれる年上の人たちでした。彼らは私をバカにしないし、対等に接し、私の言葉を面白がってくれる。その温かさに触れて初めて、「あ、昔のあれは、私がおかしかったんじゃなくて、あいつらが異常だったんだ」と、過去のいじめに対する猛烈な違和感が湧き上がってきました。

ユミルのように、自分のために怒る

今、私の心に刺さっているのは、漫画『進撃の巨人』のユミルの言葉です。「自分に嘘をつくな、お前らしく生きろ」と叫ぶ彼女の強さ。

彼女の言葉を聞いて、私はようやく自分に「怒る許可」を出せました。

たとえ私がどんな人間であろうと、誰かに不当に扱われていい理由にはならない。「だから何だよ?バーカ」と、今は心の底から言い返せます。

もう、誰の評価にも人生を渡さない。私は私を大切にしてくれる人と共に、私の人生を、私のためだけに使い切ろうと思います。

kotokoです。双極性障害歴5年目。
適切な治療で平穏を取り戻しつつあります。
「生まれてこなければよかった」という本音を抱えながら、それでも今日をやり過ごしつつ、治療のリアルを綴ります。
好きなものは映画と漫画(とネコ)。
どこかで同じ空を見上げている仲間の力になれば幸いです。
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