希死念慮で苦しむ双極性障害の人は多いでしょう。私もその一人です。
子どもの頃から暴力にさらされて育った私は、人生というものに辟易としていて、「生まれてこなければ、こんな苦しみも幸せも知らずに済んだのに」と、何度も消えたいと思いました。
今回の記事では、生きる答えが見つかった話をしたいわけではありません。むしろ、漫画の言葉に救われ、そしてその言葉に突き放されるような、私の「答えの出ない戦い」の記録を書いてみたいと思います。
「生まれてこなければよかった」という真実
こんなことを言うと、100%に近い確率で「洗脳されてるの?」「やばい思想だよ」と言われます。それでも私は、生まれてきたくなかった。
二十歳を超えたら強制的に競争社会に放り出され、一人で戦い続けなければならない人生なら、別に「欲しくない」のが本音です。「生きたくても生きられない人がいる!」と正論で殴られるかもしれませんが、私は望んでこの世界に生まれてきたわけではありません。
エルヴィン団長の言葉と、届かない叫び
かの有名な漫画「進撃の巨人」に出てくるエルヴィンというキャラクターをご存知ですか?物語中盤で彼は、こんな印象的な言葉を残して敵に特攻します。
『どんなに夢や希望を持っていても 幸福な人生を送ることができたとしても 岩で体を打ち砕かれても同じだ 人はいずれ死ぬ ならば人生には意味が無いのか? そもそも生まれてきたことに意味は無かったのか?(中略)いや違う!!あの兵士に意味を与えるのは我々だ!!』
物語に没入していた私は「死者に意味を与えるのは生存者だ」という言葉に、論理的な美しさを感じました。けれど一方で、どうしても腑に落ちない自分がいました。それは、私には未来を託す相手がいないからです。
エルヴィンは、人類の勝利という「大きな目的」の流れの中にいて、自分の死を託せる仲間がいました。けれど、現代を一人で生きる私には、そんな大きな流れは見当たりません。私には子供もいませんし、慕ってくれる部下もいません。私の人生は、どこまでも私一人のもので、私が終われば、私の苦しみも意味も、どこにも行き場を失って消えてしまう。
物語の中の彼らのように、誰かに意味を託すことができない孤独。それが、私が感じていた「もどかしさ」の正体でした。
結論:答えのない戦いを続ける
結局、答えは出ません。けれど、こうして書き進める中で一つ気づいたことがあります。私が「生きる意味」を見つけられないのは、私個人のせいだけではなく、この時代や環境も影響しているのだ、ということです。
誰にも託せない、私だけの苦しみ。
それでも、その「意味のなさ」と向き合い、考え続けること。それ自体が、今の私の「戦い」なのだと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


コメント