目の前で繰り広げられた「侮辱」
ある日、私は上司と共に、新卒の営業担当たちへ「捺印申請」のレクチャーを行っていました。
日頃からルールを無視して申請を出し、差し戻せば「早く押印しろ」と急かしてくる営業たち。少しでも彼らのミスを減らし、業務を円滑にしたい——。
そんな一心で開いた講義でした。
私はアシスタントとして後ろから見守っていましたが、そこで信じられない光景を目にします。
一人の新人女性が、メモを取るふりをして、手元のPCでチャットに興じていたのです。時折、上司の話に合わせて、もっともらしく「頷き」ながら…。
厳しい武道の部活で育ってきた私にとって、それは単なるサボりではありませんでした。
例えるなら、技を解説している先輩の前でスマホをいじっているのと同じ。教える側に対する、許しがたい「侮辱」であり「無礼」に思えたのです。
……今思い出すと笑ってしまうくらい、あの時私は心の中でキレ散らかしていました。
上司がくれた「許し」という名の教え
講義が終わるやいなや、私は我慢できずに上司へ怒りをぶつけました。
「あの態度、かなり腹経ちました!」
しかし、上司の反応は意外なものでした。
「いいんだよ、許してあげな。本当に困るのは、いつか恥をかくあの子自身なんだから」
上司は、自分も若かった頃に同じことで激怒し、当時の上司から「年を取れば気にならなくなるよ」と諭されたエピソードを話してくれました。そして、こう付け加えたのです。
「ことこさん、正しいことをすればいいってもんでもないんだよ。正しい人が、必ずしも営業成績トップなわけじゃないでしょ?」
その言葉は、私の心の奥底に隠していた違和感を、静かに突き刺しました。
「正しい人」が損をする世界への絶望
上司の言葉は、避けがたい「真実」でした。
ルールを無視し、不誠実で、でも要領だけがいい人間が、なぜか大きな受注を取ってくる。
一方で、規律を守り、言葉遣いを正し、誠実に組織を支えようと心を削っている私は、今、双極性障害で休職している。
夫に「礼節が大事だ」などと偉そうに語ってきた自分が情けないです。今ではその夫に心配をかけ、仕事にすら行けずにいるのですから。
規律を守って生きてきたはずなのに、なぜ私は幸せになれなかったんだろう。そんな悔しさがこみ上げます。
「武士」と呼ばれた私への、もう一つの予言
ここで、ある記憶が蘇ります。新卒時代、尊敬していた部長から言われた言葉です。
「君はまるで『武士』みたいな人だね」
当時は、礼儀正しいことを褒められたのだと思っていました。でも、部長はこう続けていたのです。
「でも、その生き方は危ないからね。もう少し考え方を『ニュートラル』にして生きな。自分を壊さないのようにね」
当時の私には、その意味がわかりませんでした。正しくあることが、なぜ自分を壊すことになるのか。
でも今、休職して天井を眺めている私は、あの言葉が「呪い」ではなく、私を救うための「特効薬」だったのだと気づきました。
刀を常に研ぎ澄まし、背筋を伸ばして生きる武士は、戦場では強いかもしれません。でも、この現代社会という「正しさ」が通用しない混沌とした場所では、硬すぎる正義は、自分自身を真っ二つに叩き折ってしまうのです。
刀を休ませる練習
かつての部長は、私の「適当に受け流せない、妥協できない性質」を見て、いつか心が折れてしまうことを予見していたのでしょう。
そして、今の私はまた、いい上司に出会うことができました。
新人の不誠実な態度に、自分の内の「武士」が「許せん!」と刀を抜こうとしたとき、彼女は「刀を納めなさい。それは自分を傷つけるだけだよ」と、ニュートラルな視点へ導いてくれたのです。
私はこれから、上手に「いい加減」に生きることができるのでしょうか。
答えはまだわかりません。でも、真っ直ぐに立ち続けて疲れてしまった自分を、今は少しだけ休ませてあげたい。
研ぎ澄まし続けた刀を、一度そっと、鞘に収めてみようと思います。


コメント