「子供がいないと寂しいよ」「老後、誰が面倒を見るの?」
親、友達、上司……。これまで何度も、子どもに関する「世間からの脅し」のような言葉を投げかけられてきました。そのたびに、私は言葉にできない違和感を覚えていました。
今回は、私がなぜ「子どもを持たない」という選択をしたのか、その本音をお話ししようと思います。
「保証」なんてどこにもない
子どもには子どもの人生があります。親と馬が合わず疎遠になるかもしれないし、海外に移住するかもしれない。親が子どもを縛ることは、誰にもできません。
だからこそ「老後面倒を見てくれる」「孫を連れてきてくれる」なんて保証は、どこにもないのです。期待を裏切られたと嘆くくらいなら、最初から自分の人生の責任は自分で負いたい。それが私の考えです。
愛しているからこそ「見せたくない」
これは私独自の倫理観かもしれませんが、「愛している人にこそ、自分の汚い部分を曝け出したくない」という思いがあります。
もし私が介護を必要とする状態になったとき、その姿を見せていいのはプロの介護職の方々だけであってほしい。認知症で変わっていく人格も、病気で苦しむ姿も、排泄の世話も。愛する我が子にだけは、見せたくないのです。
また、私は精神疾患を抱えています。いつキャパオーバーになり、子どもに負担をかけてしまうかわかりません。
「そんな心配ばかりしていたら生きていけないよ」と言われるかもしれません。でも私は、まだ見ぬ我が子を「ヤングケアラー」にするリスクを、どうしても無視できないのです。
「ひとりで死ぬ」ということ
「子どもや孫がいないと、死ぬときに寂しいんじゃない?」
この言葉もよく耳にします。孤独死孤独死騒いでますが、でも、死ぬ時ってみんな「ひとり」ではないでしょうか。
病院で必死に苦しんでいる真っ最中に、孫が来て「調子どう?」と声をかけられても、正直それどころではない気がします。たとえ穏やかな最期だったとしても、薄れゆく意識の中で「あ、三女が来たな。あ、孫たちがスマホをいじってる……」なんて考えている余裕があるとは思えません。
私の理想は、両親を見送り、夫を見送り、姉を見送って、最後にひとり静かに旅立つことです。
これは「逃げ」ではなく「幸せの追求」
私が子どもを持たない選択をした理由は、大きく分けて3つです。
- 夫と2人きりの生活で、十分に幸せであること
- 生まれてくる子を「ヤングケアラー」にさせたくないこと
- 子どもがいても人間は最後は孤独。なら、自分の代で完結させたいこと
子どもを持たない決断は、決して人生からの「逃げ」ではありません。自分にとっての幸せと、他者への責任を真剣に考え抜いた結果です。
もし今、周りからの心ない言葉に苦しんでいる方がいたら、私のこの考えが少しでも何かのヒントになれば幸いです


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